いいことも悪いこともないのが易経
すべての悪いことにもすべてのいいことにも、その裏側には反対の作用が働いている
昨今のわたしたちのこの社会通念ですと、いいことしか望まず、悪いことはすべて悪だ!という論調が当たり前になっています。しかしながら、易の中では(全体の意味を通じて)そのつらいことがいいことであり、むしろ、いいこととされていることが悪いことであることも多々あると教えられます。
破壊があって再生がある
例えば、易の卦の中に坎という卦があります。この卦は『陥る、剣難』という意味があり、この坎の卦がある卦の意味は、一見するとネガティブな意味にしかなりません。わたしたち自身が苦しみたくない、つらい思いをしたくない、ということが世間一般で大きくなっていけばいくほど、この卦の意味はネガティブになります。しかし、人間が新しい価値観や新しい自分に生まれ変わるためには一旦、全て捨ててしまわなくてはいけない時があります。そして、人間が自分一人でその価値観を大きく変えることができるかと言えばそうではありません。わたしたちの苦しみや困難というのは『新しい自分に生まれ変わるため』の儀式とも読めます。
そして、わたしたちの中に眠る、この本能を呼び覚ます働きこそが『苦しみ』なのだとしたらどうでしょうか
苦しみから生まれる新しい自分
わたしたちの人生には、たくさんの悩みや苦しみがあります。今の世情だけで言えば『お金がない苦しみ』『人から認められない苦しみ』『理解されない苦しみ』『失恋の苦しみ』『仕事の苦しみ』などが挙げられると思います。これらの苦しみを苦しみの部分だけで見てしまうと、わたしたちは確かにその坎の意味通り、大量の水に飲み込まれたように(感情に)溺れてしまいがちです。思考や感情の中では自分ではどうにもできずに溺れてしまう人が多い昨今です。
しかし、わたしたちは仮に本当に水の中でおぼれていたら必死にもがき、必死に水中から抜け出そうとする本能を持っていることは誰でも知っていると思います。人間は、本気で苦しみ、本気で生まれ変わりたいと願わねば、自分から苦労に飛び込んで変わろうとはしません。
現代は特に「変わりたい」と望む人が多い世の中です。世の中は嫌なことが少なければ少ない方がいい、と望んでいる一方で、実際はこういう思考の裏側には反対に作用する力があるのです。ですから、わたしたちは実は【自ら望んで】その苦しみを希望して待っているのです。
自分のありのままを強制的に開くカギ
わたしたちのこの世界は陰と陽でできています。陰と陽にも力関係が存在しており、陽が強く陰が弱いのです。ですがこの陰と陽の働きそのものも過剰に偏り過ぎている場合、そしてその今自分を取り巻いている周辺の力の働きそのものによって弱さこそが強さになり、そして弱さこそが権力を持つカギになり得るのです。
この時代はいつでも巡り続けて居ます。その巡る時代をよくよく観察し、その陰と陽の働きがどのように流れ、どのように動いて行くかを見ていくとわたしたちは自分の本来の生き方に戻るためのこの世界の秩序の中にいるのだとわかってくるのです。
坎という卦の中心には自分の芯がしっかりと通じており、これが弱い自分という殻の中に閉じ込められている、という意味にもなります。ですから、わたしたちはいろんな経験を経て、本当の自分自身を知っていくうえでいろんな苦しみや悲しみを乗り越えて、本当の自分自身を知る道をたどっているにすぎません。本当の自分というのは乗り越えた先にしか見つからないことも多々あるのです。
この世には、いいことも悪いことも存在していませんが、その状況、環境によって良くもなり、悪くもなる、たったそれだけのことが起きているだけであり、もし今が最高に苦しい場合は、もうすぐものすごく幸せになる前の段階にいる、ともなります。
起きたことはすべて過去
苦労は起きてしまえば、もうすでに過去になるのです。過去がいくら悪くても未来は明るい。今がとても明るければ、苦労が来るかもしれない前触れかもしれないのですから、わたしたち人間は、しあわせすぎても苦労が大きくなり、苦労が大きすぎればあまりにも大きなしあわせがやってくるようにできています。
ですから過去にあったことを踏まえて今を生きていくことが大事になり、その今の生き方をどうするべきかを知ることは私たち人間にとっては平凡でも可もなく不可もない、小さな苦労、小さな幸せの方が実は本当はしあわせなのかもしれません




