いよいよ時が動き出し、自分のやるべきことだけやればいい時代への最後の大修行がはじまる
数多の宗教書は預言の書であり啓蒙書であるということ
易は、陰と陽の変化で成り立つものであり常に変化し続けてきたこの世の中を六本の線で人間に伝えてきたのです。易ができあがり5千年近く経っており、その長き時、書物がいろいろな人間に⦅予言の書⦆として、そして⦅啓蒙書⦆として戦争もあり、道徳もあり、人間とは何かなども書かれてきました。
わたしは易経だけでなく宗教その他を研鑽し、仏教もキリスト教もヒンズー教も宗教一切合切の宗教書、教本などありとあらゆるものの共通点を見出した時に【この世のすべての宗教の基である本物の神は、新しい世の中に順応させるための書物を世の中に出した】のであり、輪廻転生を繰り返す中でわたしたち人間それぞれが本当の意味で《悟りを開く》ために用意されたものである、と確信しておりますが、いよいよこの新しい世の中に変化するという時にこの重大な意味を悟らせていただいたのです。
本当の自分がわからない世の中
昨今のわたしたち人間界を眺めてみると自分の本質からは外れ、人の目を気にしては自分から離れ、贅沢のために我を増やしては自分から離れる、といった具合で【本当の自分はどこに】という人がたくさんいると思います。わたしも、人のことは言えず自分が迷子になり、いつもどこにいるかわからないようなときも散々ございましたが、自分自身の本質を知り、多少迷子になりにくくなったのでございます。
けれども、自分が一体何をして何をしないかを知らない、ということは生きていくにもほとほと疲れることであり、一体何のために生きているのかわからずに、ただお金、地位、名誉といった風に『人がいいと言っているもの』に執着するしかないのが実情だと思うのです。この苦しみは人類がみんな持っているものだと思うのですが、この苦しみの根元こそ、本当の自分を見つけるために必要な試練であると思います
本当の自分を知ることは苦しいこと
昨今は「自分の好きなことをする!」という人が増えていると聞いています。そこにはワクワクする気持ち、楽しい気持ちがあるようです。しかしながら、わたしが自分の本質を知ったときに感じた気持ちは『がっかり』したことと『マジか‥』ということです。
自分が自分のやるべきことといいうのは、実際のところ華やかではないのです。自分が見て見ぬふりをしてきた本当の自分に戻るという過程は正に修行です。しかし、一方で⦅圧倒的解放感⦆があったことも事実です。本当の自分に戻るということが無理のない自分を認めることに繋がって、ものすごく気持ちが楽になっていくことも事実なのです。
天地否の時代から永遠の地泰天の時代に
この世界が5千年前から本物の神である太極の働きによって仕組みが作られてきた易経ですが、わたしはこの易経だけではなく、宗教の書物を読み直していたところ【この多次元世界がもう終わる】を実感しました。
わたしたちが今まで繰り返してきた悪い輪廻が終わる。全くの新しい世界に移行するまでにこの世界は大峠を迎え、すっかり私たち人間の因縁因果を洗い流されてしまうからです。
すると何が起きるかといえば、易の中にある世界はもう全人類が経験する必要がない世界になります。わたしたち自身が生きていくべき場所にとどまり、自分が経験する必要のない世界にはいかなくていいのです。
人と奪い合い、競い合うのが好きな人は競い合う世界に。
人と喜び合い、支え合い、協力し合うのが好きな人はその世界に
自分の持っている心の場所に移行するようになり、今までのように【いろんな人が交じり合う世界】はもうなくなるのです。
同じ価値観を持つ者同士がくっつきあう世界になるために
最後の修業がはじまる
わたしたちは、この何千年も前から仕組まれている宗教や数多の思想の中から『こういう時代が来るよ』と警告されていたのです。大変恐ろしいことを書きますが、わたしたち自身が今変らねばこれからの未来でもし、生き残れたとしても自分の心のままの世界に留まることしかできないのです。
わたしたちの本当の自分の望みとは、自分のしあわせのために《誰かのために》自分が持っている与えられた役割を発揮できたときの喜びを経験することにあります。そこではじめて自信が付き、やっと生きている意味が分かるのだと思うのです。
しかし、それは表面上の自分、周りの評価ばかりを追いかける自分だけみていくと【自分だけのしあわせを考えて】しまい、自ら不幸になってしまいます。これが『A面B面のトラップ』のひとつであり、自分がするべき行為が真逆に働かせることで、自分の本当の才能、知能、役割を活かせないのですから、苦しまなければいけないのです。
わたしたち人間は、たった一人では何もできないのです。自分というものを知らねば、みんなが求めている自分が自分だと思ってしまう。知らぬ間に自分があまり得意でないことに夢中になったばかりに自分だけがしあわせになりたいという欲が膨らみ、奪い、争い合うことをし続ける限り、わたしという人間はいつまでもしあわせにはならず、わたしという人間がどんどん孤独になり、結果的に私たちは何のしあわせも感じないまま、いつまでも求め続けなければいけないのです。
与える喜びを思い出すために
今の世の中は、与えるということが過剰に少ない世の中なのです。与える、というのは自分が相手に与えるだけにとどまらず、【自分自身に】与えることも少ないことになります。これは、物を買う、与えるということではなく『自分自身を愛する』ということが足りないのです。自分を愛するために何をするか、何をすべきでないか、をもっと深く、濃く探ることが今の時代が求めていることであり、みんなが必要とする自分を求めるのではなく、本当の自分が求めている自分を探してそれを抱きしめてあげることが大事な世の中です。
痛みを知り、その痛みを経験させてきた自分自身を癒す
わたしたち自身は、誰一人として不必要に生まれてきた人はいません。必ず何かの役に立つために生まれてきています。特別な役目をそれぞれが果たせばいいのです。その役割というものをわたしたち人間は、自分自身で否定してしまい、そしてそれ自身を価値のないものだと思いすぎてしまったために、この世界はこんなにもひどく冷たい世界になっているにすぎません。
そういう自分を見つけ、癒し、認めてあげることが今最も必要な時代の中で、今まで通りにこの時代が続くと思わないようにしなければいけません。本質を見つけなければ、大変自分自身が苦しむ時代になったのです。そして、見つけてそれを活かし、使う方法を導くときが来ていると思います




