陰と陽で生まれたそれぞれの本質
すべてが意味があって存在している
人間は本物の神である太極(創造主、唯一神、宇宙の大真理、自然の摂理)の一部を含んでいる
易の中には八卦という概念があります。それぞれその八つの卦は太極という創造神から陰と陽が生まれ、その陰と陽が四象を生み出し、またその次に生まれた八つのエネルギーです。これらは、それぞれがいろんな意味を持ち、そしていろんな形に変化することによってこの宇宙全体、自然全体、人間全体に影響を与えています。わたしたち自身は、それぞれ陰と陽という枝分かれしているものすごくまっすぐで疲れしらずなエネルギーを持っている要素と、なんでも受け入れ、やさしく包容力のある要素をもっていて、それぞれがその特徴を【与えられて】いわば、使命とも言ってもいいような役割を与えられこの地上に生まれ落ちているのです
人間の性格は複雑にできている
わたしは、この八卦も人間に当てはまることでどのような役割を担っているかを考えていたところ、基本性格としての八つに分類されることは明らかになっておりますが、その分類された八つの働きそのものには内面と外面の表裏一体があり(これは完ぺきな理論としてなりたっているわけではありませんが)自分自身の本質は非常に自分には見えにくいところに居り、自分だと思っている自分は全くの幻想の自分ではないのではないかと気が付きました。
苦労や苦しみを「自ら」選択してしまっている。自分ではそれに気が付かないで本質とは真逆の物に惹かれて『絶対にこれだ』と思うのです。絶対に自分はこういう人間だ、と、こうするべきだ!と一生懸命になり、この表裏一体を誤解したまま、自分が楽な自分を生きようとしてしなくていい苦労の道に進んでいるのが今の社会であり、ものすごく似ているものを自分だと、本質だと思って生きるととてつもなく苦労するのですが、しなくていい苦労を選び続けて居るのもまた、自分であり、見たくない自分だったりするのです。
A面とB面は似ている
マドモアゼル愛先生が提唱する『月理論』というものがありますが、その理論とわたしが八卦を見て考えている理論はほぼ同じでありますが、マドモアゼル愛先生は月の欠損という言葉で表現されておりましたが、わたしの理論は【真逆の物に惑わされていて、それを使う方向が違う】自分がそこにいるので(全く持ち合わせていない)ということではないのです。
同じものを共有しながら目的が全く真逆を向いている
まさに外面上、表面上に出す自分の姿というものと、本質の内面の求めている自分というものが全く異なる性質でありながら、単語だけ、チョイスしている部分だけは同じでも⦅表現する方向が真逆⦆に進んでしまうからこそ、どんどん歪になり、自分が本当に必要としているものが手に入りにくい、という理論です。
だから、いつまでも同じことを繰り返してしまう。だから、いつまでも自分がしあわせにならない。しあわせになるためにしていることが、いつまでも叶わない、というのがこの八卦の性格のトラップの中にあるのです。その理論を少しずつ解明しながらブログに書いていきたいと思います




