易経のことば ── 人生をよむ | 第三十四回
雷天大壮とは
勢いがある時ほど、
垣根に角を引っかける
前回の「遯」は、勢いが去っていく時の卦でした。今回はその正反対──勢いが、最高潮に向かっている時の卦です。ところが易経は、この景気のいい卦に、驚くほどそっけない一言しか与えません。「大壮、利貞」。たった四字。盛んな時ほど、言うことは少ないのです。
この卦をひとことで
雷天大壮(らいてんたいそう)は、易経・六十四卦の第34卦。易では陽を「大」とし、この卦は下に四つの陽が並んで勢いが大層盛んな形です。旧暦二月・お彼岸頃にあたります。卦辞は〈大壮、利貞〉のわずか四字──勢いが盛んな時こそ、正しい道を堅く守れという戒めだけが置かれています。
01 ── 象(かたち)雷が、天の上で鳴る
大壮の卦は、下が天(乾☰)、上が雷(震☳)。──雷が、天のいちばん上で轟きわたっている。これ以上ないほど威勢のいい象です。
易では陽を「大」、陰を「小」とします。この卦は下から陽が四本。彖伝は大者壮也(大なる者、壮んなるなり)と言い切ります。──大きいものが、盛んになっている。それが大壮です。
季節でいえば旧暦二月、お彼岸のころ。陽気がすっかり盛んになり、冬(陰)が退いていく時期です。公田連太郎は「君子(陽)の勢いが大層盛んになって、小人(陰)の勢いがすでに衰えて行く時」と読みます。──追い風が吹いている。誰がどう見ても、いい時期です。
ところが。易経は、この最高の局面に祝福の言葉をひとつも置きません。
02 ── 卦辞(かじ)たった四字の戒め
大壮。利貞。
大壮(たいそう)は、貞(ただ)しきに利(よろ)し。
出典:公田連太郎『易経講話』雷天大壮
四字だけ。「亨る」も「吉」もありません。あるのは「正しくあれ」という一語だけです。
公田の解説が、その理由を明かします。「陽の勢いが盛大であるが、その盛大なる勢いをもって正しき道を堅固に守るがよいのである。景気のよい時、勢いの盛んなる時には、とかく行き過ぎる癖があり、失敗を招くのであって、正しい道を堅固に守ることを戒めてあるのである」。
──易経は、勢いのある人を祝福しない。心配する。なぜなら、大きな失敗は、たいてい調子のいい時に起きるからです。
彖伝は、この「正しさ」に深い意味を与えます。大壮利貞。大者正也。正大而天地之情可見矣──大なるものが、正しい。正しくして大きければ、天地の真実の姿が見える。
ここが重要です。「大きい」だけでは足りない。「正しくて、大きい」ではじめて、天地の徳に届く。──規模と正しさは、セットではじめて意味を持つのです。
03 ── 人生に置きかえると踏んではいけない線
象曰。雷在天上。大壮。君子以非礼弗履。
象に曰く、雷、天の上に在るは、大壮なり。君子以て礼に非ざれば履(ふ)まず。
出典:公田連太郎『易経講話』雷天大壮・大象
履は、踏むこと。礼に叶わないことは、踏まない。公田は「君子は、この盛んなる勢いをもってしても、正しい礼に叶わないことは決して行わない」と読みます。
ここでの礼は、作法やマナーの話ではありません。公田は「礼の意味は広大深遠であり、天の道・地の道を土台にして、人の道を立てるのが礼である」と説きます。──やろうと思えばできてしまうが、やってはいけないこと。その線引きが礼です。
そして、この教えがなぜ大壮の卦に置かれているのか。──力がない時は、線を越えたくても越えられないからです。越えられる力を持ってはじめて、「越えない」ことが徳になる。
調子がいい時、選択肢は増えます。押せば通る。強く出れば従う。無理も利く。──その「できてしまう」の中に、踏んではいけない線が混じっている。大壮の卦は、そこだけを見ています。
04 ── 六爻(ろっこう)牡羊と、垣根の話
この卦には、易経でも屈指の忘れがたい比喩が出てきます。牡羊が、垣根に角を突っ込んで抜けなくなる──羝羊觸藩(ていようはんにふる)。しかもこの比喩は、九三と上六の二度登場します。
悩みの場面:実力より先に、勢いが出てしまう/若さを持て余す
趾は足。いちばん下にいるのに、足だけが元気な状態です。公田は「一番下の微賤なる位地にありながら、剛強なる勢いに任せて、むやみに進んで行こうとする」と読み、「景気がよくなると、とかくやり過ぎるようになる」と添えます。
だから征凶=進めば凶。──ただし易は、この爻に有孚(まことあり)とも書いています。誠実さは、ちゃんとある。悪意ではないのです。象伝は其の孚窮するなり──誠実なだけでは、行き詰まる。
やる気も誠意もある。それでも位置が伴わなければ、進むほど窮する。熱意の問題ではなく、順序の問題だと言っています。
悩みの場面:力を、ちょうどよく出したい/出しすぎず引きすぎず
爻辞は二字、「貞吉」だけ。──この卦で最も静かで、最も理想的な爻です。
九二は本来なら位が正しくない爻ですが、公田はこの卦に限ってこう読みます。「剛に過ぎることなく、柔和なる位をもって剛強なる性質を調和しておるものとみる」。象伝は中を以てなり。
強い性質が、柔らかい位置に置かれている。だから行き過ぎない。──力のある人にとって、少し抑えめの場所に身を置くことは、損ではなく調整なのです。
悩みの場面:力ずくで押し切りたくなる/勢いに任せて突っ込む
この卦の中心的な戒めです。小人用壮=勢いに任せる人は、盛んな力をそのまま使う。君子用罔──罔は「無い」。公田いわく「道徳ある君子は、盛んな勢いに任せて進もうとはせず、その盛んなる力を用いない(罔ずる)のである」。
持っている力を、使わない。それが君子の選択だと易は言います。
そして比喩が来ます。羝羊觸藩、羸其角──公田の描写は具体的です。「牡羊は角をもって物に突っかかることを好むものであり、藩(垣根)に突っかかって行って、その角が垣根に引っかかって苦しむ」。
──角があるから、突っかかる。突っかかるから、抜けなくなる。強さそのものが、動けなくなる原因になる。この一句だけで、大壮の卦は成立していると言ってもいいでしょう。
悩みの場面:ようやく障害が外れた/進んでいい時が来た
九三と対になる、この卦でいちばん爽快な爻です。藩決不羸──垣根が開けて、もう角は引っかからない。
そして壮于大輿之輹。輹は、車輪の軸を車体に結びつける部品です。公田は「大きく堅固なる車に乗って進むように、盛大なる勢いをもって進んで行く」と読みます。──勢いが、突進ではなく走行に変わった。象伝は往くを尚ぶなり=進んでよい。
九三と九四の違いはどこにあるか。公田は「剛と柔とがよく調和されておる」と説明します。──同じ勢いでも、柔らかさが混じった時にはじめて、前に進む力になる。
悩みの場面:強い相手を、争わずに収めたい/力で対抗したくない
この卦でいちばん洗練された爻です。六五は柔順な陰爻。下には四つの剛強な陽(=突っかかる羊)が控えています。力では、まったく敵いません。
ところが喪羊于易──境界のところで、羊を失う。公田はこう読みます。「柔順中和の徳をもって、剛強なる勢いに任せて突っかかろうとするものを平定し服従させ、無理なく穏やかにその剛強を消してしまう」。
──戦って勝つのではなく、突っかかる気を消してしまう。角のある羊も、突っかかる相手がいなければ、ただの羊です。柔らかさは、剛強に対する最も有効な手段になりうる。だから无悔。
悩みの場面:進むも退くもできない/突っ込んだまま動けない
九三の警告が、現実になった爻です。牡羊は垣根に突っ込み、退くこともできず、進み遂げることもできない。无攸利=よろしいことがない。
象伝は原因を一語で指します。不詳也──公田いわく「軽率にして、事の始めをよく審らかに処置しなかったからである」。詰まったのは今だが、原因は始まりの時にある。
──そして、この卦はここで終わりません。爻辞の最後に、五文字が置かれています。艱則吉(艱めば則ち吉)。苦しんで、自分を省みれば、吉に転じる。象伝は咎、長からざるなり──咎は、長くは続かない。
身動きが取れないこと自体は、終わりではない。そこで自分を振り返れるなら、垣根はいずれ外れる。──易経が、行き詰まった人に必ず残しておく出口です。
05 ── 攻めと守り剛と柔を、調和させる
大壮の「攻め」は、九四にあります。藩決不羸──障害が外れ、大輿の輹に壮なり=堅固な車に乗って進む。象伝も「往くを尚ぶ」=進んでよいと明言します。勢いを否定しているのではありません。勢いを、正しく走らせよと言っているのです。
「守り」は、はっきり三つ。
①非礼弗履──できることの中に、やらない線を引く。
②君子用罔──持っている力を、あえて使わない。
③九二の中庸と六五の柔和──剛に柔を混ぜる。
公田は総括でこう述べます。「剛と柔とが程よく調和して失敗がないのが理想で、勢いに任せて突き進む剛強(羝羊觸藩)を戒め、柔順中庸の徳(九二・六五)を貴ぶ」。
──この卦で吉とされるのは、四つの威勢のいい陽ではなく、控えめな九二と、柔らかい六五です。勢いのある局面で評価されるのは、勢いを出した人ではなく、勢いを調整できた人。それが大壮の採点基準です。
余白のひとこと ── 古典より
──北条氏綱の遺訓と伝わる(戦国期)
勝った直後こそ、兜の紐を締め直せ──日本の武家が残した、大壮そのものの言葉です。気がゆるむのは、負けた時ではなく勝った時。垣根に角を突っ込む牡羊も、突っ込む前は勢いに乗っていました。「利貞(正しきに利し)」というそっけない四字は、勝者にだけ向けられた言葉なのです。
06 ── まとめこの卦からの一言
- 易経は、勢いのある人を祝福しない。卦辞はたった四字「大壮、利貞」。大きな失敗は、たいてい調子のいい時に起きるからです。
- できることの中に、やらない線を引く。「礼に非ざれば履まず」。力がない時は線を越えられない。越えられる力を持ってはじめて、越えないことが徳になります。
- 角があるから、突っかかる。「羝羊、藩に觸れ、其の角を羸しむ」。強さそのものが、動けなくなる原因になります。
- 行き詰まっても、そこで終わりではない。「艱めば則ち吉、咎、長からず」。突っ込んだまま動けない時こそ、自分を省みる時です。
雷天大壮は、いま調子がいいすべての人への卦です。勢いを止めろとは、ひとことも言っていません。言っているのは、剛に柔を混ぜよ、ということだけ。突進を走行に変えれば、その勢いはちゃんと前に運んでくれます。
次回は、その勢いがどこへ向かうか。太陽が地上に昇っていく卦──「火地晋(かちしん)」を読みます。
FAQ ── よくある質問雷天大壮のギモン
雷天大壮とは、どんな意味の卦ですか?
易経・六十四卦の第34卦です。易では陽を大とし、この卦は下に四つの陽が並んで勢いが大層盛んな形です。旧暦二月・お彼岸頃にあたります。卦辞は〈大壮、利貞〉のわずか四字で、勢いが盛んな時こそ正しい道を堅く守れ、という戒めだけが置かれています。
「非礼弗履」とは、どういう意味ですか?
君子以て礼に非ざれば履(ふ)まず、と読みます。礼=正しい道理に叶わないことは、どれだけ勢いがあっても決して行わないという意味です。力があるからこそ踏んではいけない線がある、と説きます。
「羝羊觸藩」とは、どんな戒めですか?
羝羊(ていよう=牡羊)が藩(垣根)に觸れる、と読みます。牡羊は角で突っかかるのが好きで、垣根に突進した結果、角が引っかかって身動きが取れなくなる。勢いに任せた猪突猛進が、かえって自分を動けなくするという戒めです。
雷天大壮は、どんな悩みの時に響く卦ですか?
調子がよくて勢いに乗っている時、力ずくで押し切りたくなっている時、進むも退くもできなくなってしまった時、若さや実力を持て余している時などに響きます。