易経のことば ── 人生をよむ | 第三十五回
火地晋とは
太陽が昇るように、
自分の明るさを出す
易経には「進む」意味の卦がいくつかありますが、公田連太郎はこの卦を「三つの卦のうちで最も優れておる」と評します。──なぜなら、ただ前へ行くのではなく、上へ昇りながら、光を増していくからです。「火地晋(かちしん)」。朝日が地平線から昇っていく卦です。
この卦をひとことで
火地晋(かちしん)は、易経・六十四卦の第35卦。太陽(離☲)が地(坤☷)の上に出て、だんだん高く昇っていく象です。晋の字には、単に前進するだけでなく「進み昇って、光り輝く」意味が含まれます。卦辞は〈晋、康侯用錫馬蕃庶、昼日三接〉。核心は──本来持っている明るさを、覆いを取って外に出すことにあります。
01 ── 象(かたち)日が出でて、万物進む
晋の卦は、下が地(坤☷)、上が火=太陽(離☲)。──太陽が、地の上に出ている。夜明けの卦です。
公田は、なぜ「進」ではなく「晋」の字なのかを説明します。「ただ前進する意味だけでなく、光明盛んに進み上って、そうして光り輝く意味を含んでいる」。そして『説文』の一句を引きます──日出でて万物進むなり。
ここが晋の卦の性格です。太陽が昇ると、地上のすべてが一斉に伸びはじめる。自分が昇ることが、そのまま周りを育てることになる。──独り勝ちの前進ではありません。
序卦伝は、前の大壮からの流れをこう説きます。物は壮んなれば必ず進む。勢いが盛んになれば、必ず次の段階へ進む。──前回の「垣根に角を引っかける牡羊」の卦を抜けた先に、この夜明けが置かれています。
02 ── 卦辞(かじ)一日に三度、迎えられる
晉。康侯用錫馬蕃庶。晝日三接。
晉(しん)は、康侯(こうこう)用(もっ)て馬を錫(たま)はること蕃庶(はんしょ)なり。晝日(ちゅうじつ)に三たび接す。
出典:公田連太郎『易経講話』火地晋
やや見慣れない卦辞です。公田によれば、康侯は「自分の領地を安んじ、人民を安んずる諸侯」。錫馬蕃庶はたくさんの馬を賜わること。昼日三接は一日の昼の間に、三度も接見されること。
──つまり、よく治めている人が、厚く遇されているという光景です。褒美をもらい、三度も呼ばれる。公田は「まことに泰平の情態である」と評します。
この卦辞が示しているのは、晋(昇る)とは、自分で押し上げることではなく、上から引き上げられることだという点です。まず地を安んじる。すると、迎えられる。──順序が、明確に置かれています。
彖伝も同じ構造を示します。順而麗乎大明(順にして大明に麗く)──柔順な地が、明るい太陽に付いている。そして柔進而上行(柔進みて上行す)──柔らかいものが、進んで上に行く。
この卦で昇っていくのは、剛強なものではなく柔らかいものなのです。
03 ── 人生に置きかえると明るさは、もともとある
象曰。明出地上。晉。君子以自昭明徳。
象に曰く、明、地上に出づるは、晉なり。君子以て自ら明徳を昭(あき)らかにす。
出典:公田連太郎『易経講話』火地晋・大象
この大象は、易経のなかでも屈指の名句です。公田は、たとえを丁寧に展開します。
「太陽は、本来、明らかなるものであるが、地の下にはいっているときは、明らかなる光はみえない。地の上に出現するときは、ただちに明らかに輝きわたる。人の心は、本来、明らかなる徳を持っておるが、私の欲・私の心に蔽われるときは、暗くなるのである」。
──ここが核心です。太陽は、夜のあいだ光を失っていたわけではない。地面に隠れていただけ。だから昇れば、すぐに輝く。
自昭明徳──自ら明徳を昭らかにする。新しく明るさを作るのではなく、覆いを取る。公田はこれを『大学』の「明徳を明らかにするに在り」と重ね、さらに王陽明が左遷の地で明徳を明らかにする道を工夫した話を引いています。
──自分には光るものがない、と感じる時。この卦は違うことを言います。光はある。何かで覆われているだけ。やるべきは、獲得ではなく除去です。
04 ── 六爻(ろっこう)抑えられる、憂える、そして委ねる
晋の六爻は、昇っていく人が順に出会う障害と、その越え方の一覧になっています。認められない、応じてくれる人がいない、貪欲に居座る人がいる──どれも、現代でもそのまま起きることです。
悩みの場面:進もうとして、抑えられる/信用されず認められない
晋如は進む姿、摧如はくじかれ、押し戻される姿。進もうとするたびに、上から抑えられる爻です。
それでも象伝は言います。獨り正しきを行ふなり──ひとりでも、正しいことを行う。罔孚=まだ信用されていない。それでも、です。
そして処方が渡されます。裕无咎──裕はゆったりと寛いこと。公田は「あせらず、ゆったりと寛く体ゆたかにして、正しき道に従って、急いで進み升ろうとしないので、咎を免れる」と読みます。象伝は未だ命を受けざるなり=まだ役目を与えられる段階ではない。
──認められないことと、間違っていることは、別。焦って押し返そうとせず、ゆったり構えたまま、正しいことを続ける。それが咎を避けます。
悩みの場面:応じてくれる人がいなくて憂える/引き上げてくれる相手が不在
愁如=憂えている姿。六二は柔順中正、位も正しい優れた爻です。それなのに、上に応じてくれる相手がいない。だから進めず、憂える。
──それでも貞吉。そして、思いがけない結末が待っています。受茲介福、于其王母──王母(祖母にたとえられる上の人)から、大きな福を受ける。象伝は理由を一語で示します。中正なるを以てなり。
引き上げてくれる相手がいない期間に、中正であり続けたこと。それ自体が、後の福を呼ぶ。──憂えながら、質を落とさない。この爻は、報われない時期の過ごし方そのものです。
悩みの場面:ひとりでは足りない/志を同じくする仲間と進む
衆允=多くの人が信じ、従う。六三は本来、位が正しくなく中も得ておらず、悔いのあるはずの爻です。ところが悔亡=悔いが消える。
理由は、公田の解説にあります。「下の三つの陰爻は、皆、上の文明の徳ある六五に付き従おうとし、その志を同じくしておる」。象伝は衆允ふの志は、上行するなり。
──この爻の強みは、能力でも位置でもなく「同じ方を向いている仲間がいること」です。個人としての欠点を、共有された志が打ち消している。ひとりで足りない時、易は仲間を数に入れます。
悩みの場面:地位にしがみついてしまう/位置に見合わない欲
この卦で唯一の、厳しい爻です。鼫鼠は大きな鼠。公田の描写は容赦がありません。「鼠は昼はかくれており、夜になると動きまわっていたずらをする。貪欲であって、位不相応の欲を持っておる」。
九四は高い位置にいますが、位が正しくない。貪欲に、その高い場所に居ようとする。だから貞厲=正しくしていても危うい。象伝は位、當らざるなり。
──ここで易が問うているのは、能力の有無ではありません。その場所が、自分に釣り合っているか。釣り合わない場所にしがみつくことが、危うさの正体だと言っています。
そしてこの爻は、初六を抑えつけている当人でもあります。上がれない人がいる時、その上には居座っている人がいる──晋の卦は、その構図まで描いています。
悩みの場面:細かい損得が気になる/人に任せられない
この卦の主爻であり、易経のなかでも最も気前のいい一句を持つ爻です。失得勿恤──得るも失うも、心配するな。
六五は位が正しくありませんが、明るい離の卦の主爻で、柔和にして中の徳を持っています。公田はこう読みます。「私意をもって細かに損得を気にかけたりせず、柔順中正なる臣下を信任して万事を委任し、その明察に過ぎることを患えない」。
──いちばん高い位置にいる人の仕事は、細かく計算することではなく、任せること。だから往吉、无不利=進んで吉、よろしくないことがない。象伝は往きて慶び有るなり。
明るさの卦の頂点に置かれているのが、「損得を数えない」という態度である──ここに、この卦の思想が凝縮しています。
悩みの場面:進みすぎて、これ以上先がない/外ではなく自分を正す
角は獣の角。いちばん上にあって、硬い。上九は進むことの極みまで来てしまった爻です。
ここで爻辞は、意外な方向を指します。維用伐邑──邑(ゆう)を伐つ。公田はこの邑を「己の私する所なり」と解し、「自分の領邑(内)を伐つ、すなわち自分自身を治めること。自分の私欲私意を克服することにあたる」と読みます。
──進みすぎた時、攻める先は外ではなく自分。公田は「己に克ちて礼に復る」の心をもって自らを治める、と結びます。だから厲吉无咎=危ういけれども吉、咎はない。
ただし象伝は正直です。道、未だ光ならざるなり──それでもまだ、道は光大ではない。自分を正すことは、必要ではあるが、まだ完成ではない。易は最後まで、到達を宣言しません。
05 ── 攻めと守り昇りながら、自分を治める
晋の「攻め」は、はっきりしています。自昭明徳──自分の明るさを、覆いを取って出す。そして六五の失得勿恤──細かい損得を数えず、人に委ねて進む。象伝も「往きて慶び有り」と背中を押します。この卦は、進むことをためらいません。
「守り」は三つ。
①初六の裕──抑えられている時は、ゆったり構える。押し返さない。
②六二の中正──応じてくれる人がいない時期も、質を落とさない。
③九四の鼫鼠の戒め──釣り合わない場所に、しがみつかない。
そして上九が、最後の守りを示します。進みすぎたら、外を攻めずに自分を治める。──昇る卦でありながら、頂点に置かれているのは「克己」。太陽が最も高く昇った時、次に来るのは傾きです。だから易は、この位置で外へ向かう力を、内へ折り返させます。
余白のひとこと ── 古典より
──日本に古くから伝わることわざ
一日の成否は、朝のうちに決まっている──。晋の卦は、まさに朝日が地平線から昇る瞬間を描いた卦です。明るさは、昼になってから作るものではない。もともとある光が、昇ることで見えるようになるだけ。「自ら明徳を昭かにす」とは、朝を待つことではなく、自分の覆いを取ることなのです。
06 ── まとめこの卦からの一言
- 明るさは、もともとある。「自ら明徳を昭かにす」。太陽は夜のあいだ光を失っていたのではなく、隠れていただけ。やるべきは獲得ではなく、覆いを取ることです。
- 認められないことと、間違っていることは違う。「独り正しきを行う」「裕なれば咎无し」。焦って押し返さず、ゆったり構えたまま続ける。
- 釣り合わない場所に、しがみつかない。「晋如たり、鼫鼠なり」。危ういのは能力不足ではなく、位置と欲の不一致です。
- 上に立つほど、損得を数えない。「失得恤ふる勿れ」。細かく計算せず委ねることが、明るさの卦の頂点に置かれています。
火地晋は、いま伸びようとしているすべての人への卦です。抑えられても、応じてくれる人がいなくても、光は最初から自分の中にあります。焦らず、質を落とさず、覆いを一枚ずつ外していく。そして昇りきったら、外ではなく自分に向き直る。
次回は、この完全な裏返し。太陽が地の下に沈んでしまった時、どう生きるか──「地火明夷(ちかめいい)」を読みます。
FAQ ── よくある質問火地晋のギモン
火地晋とは、どんな意味の卦ですか?
易経・六十四卦の第35卦です。太陽(離)が地(坤)の上に出て、だんだん高く昇っていく象を表します。晋は単に前進するだけでなく、進み昇って光り輝く意味を含みます。卦辞は〈晋、康侯用錫馬蕃庶、昼日三接〉。易経のなかでも景気のよい卦とされます。
「自昭明徳」とは、どういう意味ですか?
君子以て自ら明徳を昭(あき)らかにす、と読みます。人の心は本来明るい徳を持っているが、私欲や私心に覆われると暗くなる。太陽が地上に昇るように、その覆いを取り除いて本来の明るさを出す──という自己修養の教えです。
「晋如鼫鼠」とは、どんな戒めですか?
晋如たり、鼫鼠(せきそ)なり、と読みます。鼫鼠は大きな鼠で、昼は隠れ夜に動き回り、貪欲で身分不相応の欲を持つもののたとえです。自分に釣り合わない高い位置に貪欲にしがみつくことの危うさを説きます。
火地晋は、どんな悩みの時に響く卦ですか?
認められずに焦っている時、進もうとして誰かに抑えられている時、自分の力を発揮したい時、地位や立場にしがみついていないか不安な時、部下や後進に任せられない時などに響きます。