地火明夷とは|光は消えていない、隠れているだけ

易経のことば ── 人生をよむ | 第三十六回

地火明夷とは
光は消えていない、
隠れているだけ

前回の「晋」は、太陽が地上に昇る卦でした。今回はその完全な裏返し──太陽が、地の下に沈んでしまった卦です。易経で最も暗い卦のひとつ。それでも、この卦の結びに置かれた一句は、驚くほど明るい。「明、息む可からざるなり」──その光は、消せない。「地火明夷(ちかめいい)」を読みます。

この卦をひとことで

地火明夷(ちかめいい)は、易経・六十四卦の第36卦。夷は「傷(やぶ)る」で、明夷とは明るいものが傷つけられること。太陽(離☲)が地(坤☷)の下に沈んで、地上が暗くなった象です。卦辞は〈明夷、利艱貞〉。核心は──光を失うのではなく、あえて隠して、志だけは守り抜くという点にあります。

01 ── 象(かたち)明、地中に入る

明夷の卦は、下が火=太陽(離☲)、上が地(坤☷)。──太陽が、地面の下にある。前回の晋(地の上に太陽)を、そっくり上下ひっくり返した形です。

公田連太郎は、この卦が扱う状況をこう説明します。「明らかなる太陽が地の下に沈んで、地上が真暗くなってしまったのである。暗黒無道の君主が上にあり、明らかなる徳ある賢人臣民が下にあって、大いに辛苦艱難にかかっておる。そういう暗黒なる世の中に処する道を説くのである」

序卦伝は、前の晋からの流れをこう説きます。進めば必ず傷るる所有り──進んでいけば、必ずどこかで傷つけられる。昇りつめた次に、沈む卦が置かれている。

そして公田は、静かにこう書き添えます。「世の中の盛んなるものは、いつかは必ず衰えるのであって、何年で衰えるか、何十年で衰えるか、何百年で衰えるかは、遅い早いの違いはあるけれども、盛んなるものはいつかは必ず衰える」。──暗い時代は、例外ではなく、順番なのです。

ただし、卦の形をもう一度見てください。太陽は、消えてはいません地面の下に、そのまま在る。──それがこの卦の、いちばん重要な一点です。

02 ── 卦辞(かじ)其の明を晦ます

明夷。利艱貞。

明夷(めいい)は、艱貞(かんてい)に利(よろ)し。

出典:公田連太郎『易経講話』地火明夷

わずか四字。艱難のなかで、正しき道を堅固に守ることに利がある。──それだけです。

彖伝が、この卦の戦略を明かします。内文明而外柔順(内は文明にして、外は柔順)──内側は明るく、外側は柔らかい。下の離(明るさ)が内に、上の坤(柔順)が外に。明るさを、柔らかさで包んでいるのです。

そして核心の一句。利艱貞、晦其明也──艱貞に利しとは、その明を晦(くら)ますことである

ここは誤解されやすいところです。明るさを捨てるのではありません。「隠す」のです。──明るい徳を持ったまま、それを外に見せない。光を消すのではなく、覆いをかける。地面の下の太陽が、光を失っていないのと同じです。

公田はここで、二人の名を挙げます。文王──暗黒の時代に大いなる困難を蒙り、幽閉されながらも正しい道を守り通した人。そして箕子──暴虐な王のもとにあって、明るい徳を隠し、志だけは正しく保った人。
彖伝は、この卦の実践者として、この二人を名指しで置いています。易経が、抽象論ではなく実在の生き方として語る、めずらしい卦です。

03 ── 人生に置きかえると暴き立てない明るさ

象曰。明入地中。明夷。君子以莅衆。用晦而明。

象に曰く、明、地中に入るは、明夷なり。君子以て衆に莅(のぞ)み、晦(くら)きを用て明かなり。

出典:公田連太郎『易経講話』地火明夷・大象

この大象は、暗黒の卦にありながら平時にもそのまま使える教えになっています。

莅衆は、人々に接すること。用晦而明──晦きを用いて、明らかである。公田はこう解きます。「あまりに明察(細かに暴き立てること)に過ぎず、自分の明知を包み隠して、寛大にして治めるのである」

そして、唐代の言葉を引きます──察察として明かなること勿れ。公田の説明が容赦ありません。「あまりに明察であり厳正であって、細かなことまでほじくり出して、あまりにやかましくいうときは、人々は安んじて落ちついておることができぬのである」

だから「時には知っておっても知らぬふりをする位に、寛大にして治めるのがよろしい」。──そして結論。「明察でないのが、かえって大いに明らかなるゆえんになる」

──よく見えてしまう人ほど、この教えは効きます。気づいたことを全部指摘する人のところに、人は安心して居られない見えているのに、言わない。それが、この卦の言う「明るさ」です。

04 ── 六爻(ろっこう)去る、逃げる、正す、隠す

明夷の六爻は、易経のなかでも特異な構成をしています。いちばん上の上六だけが「暗さの本体」で、残る五爻はすべて、その暗さの中に置かれた人たちです。──五通りの、暗い時代の生き方が並んでいます。

初九|明夷于飛明夷于飛、垂其翼、君子于行、三日不食(めいい とぶに おいてす、そのつばさを たる、くんし ゆきゆく、みっか くらわず)

悩みの場面:兆しの段階で、去る/早すぎると笑われる

誰よりも早く、去る爻です。翼を低く垂れて、目立たないように飛び去る。三日不食──三日ものを食べる間も惜しんで、急いで去る

ところが爻辞は、こう続きます。主人有言──行った先の人に、文句を言われる。公田いわく「なぜそう急いで去るのか、と疑い怪しんで、非難する」

──誰よりも早く危険を察知した人は、たいてい理解されません。まだ誰にも見えていないのだから、当然です。それでも象伝は擁護します。義として食らはざるなり──筋として、そこの禄は受けない非難されることと、間違っていることは別。この爻は、そう言い切ります。

六二|夷于左股明夷、夷于左股、用拯馬壮吉(めいい、さこを やぶる、もって すくうに うま さかんなれば きち)

悩みの場面:すでに傷を負った/浅いうちに手を打つ

柔順中正の徳を持つ、優れた爻です。それでも傷つくことは避けられません。──ただし、傷ついたのは左の股。公田は「左股は比較的重要でない所であり、傷が浅い。歩行するのに難儀の程度が少ない」と読みます。

そして処方。用拯馬壮吉──強い馬で、速やかに救えば吉。象伝は順にして以て則あればなり

──傷を負わないことではなく、浅いうちに素早く手を打つこと。それがこの爻の教えです。公田は、この爻を文王にあてています。致命傷を避け、動ける状態を保つ。暗い時代の、現実的な最善手です。

九三|于南狩明夷、于南狩、得其大首、不可疾、貞(めいい、なんしゅに おいてす、その たいしゅを う、はやく す べからず、てい)

悩みの場面:正面から不正を正す/焦って一気にやろうとする

唯一、立ち向かう爻です。南は明るい方角。九三は下の離(明るさ)の頂点にあり、剛にして明らか。暗さの本体である上六と、真正面から対しています。

得其大首──大もとを得る。公田は「暗黒なる世の中の害をなすものの、その首魁を除き去る」と読み、周の武王が殷を討った史実にあてています。

ところが爻辞は、ただちに手綱を引きます。不可疾──急いではならない。そして──正しき道を堅く守れ

──正すこと自体は認める。ただし、急ぐなと言う。易は、正義の側にも同じ厳しさで時機を求めます。正しいから急いでよい、とは決して言わない。象伝は乃ち大いに得るなり──急がなければ、大いに得られる

六四|入于左腹入于左腹、獲明夷之心、于出門庭(さふくに いる、めいいの こころを う、もんていを いづるに おいてす)

悩みの場面:内側にいて、正体が見えてしまった/知ったうえで離れる

暗さの中枢の、いちばん近くにいる爻です。入于左腹──腹心の奥深くに入り込んでいる。だから見えてしまう獲明夷之心その心の根源を、知ってしまう

そして──于出門庭、門を出て、遠く去る。公田は「深く腹心の奥深くにありながら、その心を知り、いたずらに禍を受けるに至るべきことを知って、ついに国を去って遠く遁れ去る」と読み、殷の微子にあてています。

──いちばん近くにいた人が、いちばん確かに見切りをつける。外から批判するのではなく、内側で見届けてから、静かに出ていく。象伝は心意を獲るなり感情ではなく、理解にもとづいた離脱です。

六五|箕子之明夷箕子之明夷、利貞(きしの めいい、ていに よろし)

悩みの場面:去れない場所で、生き延びる/能力を隠して志を守る

この卦のいちばん深いところにある爻です。六五は、暗さの本体(上六)のすぐ隣。いちばん危険な場所で、しかも去ることができない立場にいます。

箕子が選んだのは、去ることでも、立ち向かうことでもありませんでした。明るい徳を晦まし包み隠して、狂人を装ってまで身を全うする。公田は「国の内において大いなる艱難に出遇っておるけれども、心の中には正しき道を固く守って失わなかった」と記します。

そして象伝が、この卦の全体を照らす一句を置きます。

箕子之貞、明不可息也──箕子の貞は、明、息(や)む可からざるなり

──隠していただけで、その明るさは一度も消えなかった外から見えないことと、失われることは、まったく違う
報われず、発揮できず、埋もれていると感じる時。この一句は、そのまま効きます。見えていない光は、消えた光ではありません

上六|不明晦不明晦、初登于天、後入于地(あきらかならずして くらし、はじめ てんに のぼり、のちに ちに いる)

悩みの場面:高く昇ったものが、落ちる/則を失うということ

この卦で唯一、暗さそのものである爻です。──ただし易は、この爻にも履歴を書きます。

初登于天──初めは、天に登った。象伝いわく四国を照らすなり四方の国々を照らすほどの明るさが、確かにあった
そして後入于地──後には、地の底に沈んだ。象伝はその理由を一語で示します。失則也──則(のり)を失ったから

──暗さは、最初から暗かったのではない。かつては照らしていた。則(守るべき筋道)を失った時に、天から地へ落ちた
この爻は、断罪ではなく因果の記述です。易経は最後まで、「なぜそうなったか」だけを書きます。

05 ── 攻めと守り志を守り抜くという戦い方

明夷の「攻め」は、正面からの力ではありません。──五つの選択肢を持つこと、それ自体が攻めです。

兆しのうちに去る(初九)。傷が浅いうちに退避する(六二)。時機を待って正す(九三)。内側で見届けてから離れる(六四)。そして去れないなら、隠して生き延びる(六五)。──暗い時代に、身動きが取れないということはない。易は五つも道を用意しています。

そして九三が示すように、正すこと自体は否定されていません。ただ不可疾=急ぐな、と条件がつくだけです。

「守り」は、晦其明──明るさを、隠すこと。能力や正しさを外に出さない。目立たない。「察察として明かなること勿れ」──細かく暴き立てない。見えているのに、言わない

公田は、この卦の総括をこう結びます。──明夷とは、潔く去る/浅いうちに退く/正面から正す/内から離脱する/明知を隠して志を守る、その使い分けを説く卦である、と。

そして忘れてはならないのが、六五の象伝です。「明、息む可からざるなり」。──この卦が守れと言っているのは、地位でも成果でもなく、明るさそのもの。それさえ消さずにいれば、地の下の太陽はいずれまた昇ります。

余白のひとこと ── 古典より

天の岩戸(あまのいわと)

──『古事記』

太陽の神が岩戸に隠れ、世は真っ暗になった──日本神話が伝える、まさに「明、地中に入る」光景です。ここで大切なのは、太陽は失われたのではなく、隠れていたということ。だからこそ、岩戸が開けば元のまま輝いた暗さとは、光の不在ではなく、光と私たちのあいだに何かがある状態。──日本人が古くから知っていた、明夷の理です。

06 ── まとめこの卦からの一言

  1. 光は消えていない、隠れているだけ。「明、息む可からざるなり」。外から見えないことと、失われることは違います。
  2. 明るさを、あえて隠す。「其の明を晦ます」。能力も正しさも、暗い時代には外に出さない。それが身を守り、志を守ります。
  3. 暴き立てない。「晦きを用いて明かなり」「察察として明かなること勿れ」。見えているのに言わないことが、この卦の言う明るさです。
  4. 正しくても、急がない。九三「疾くす可からず」。易は正義の側にも、同じ厳しさで時機を求めます。

地火明夷は、理不尽な場所に置かれているすべての人への卦です。易経は、そこから去れとも、耐えろとも、決めつけません。去る、退く、正す、離れる、隠れる──五つの道を並べ、あとは時と立場に応じて選べ、と言います。
そして最後に、いちばん大事なことを一言だけ残していきます。その明るさだけは、消すな。──次回は下経の第三十七卦、家庭のなかの秩序を説く「風火家人(ふうかかじん)」を読む予定です。

FAQ ── よくある質問地火明夷のギモン

地火明夷とは、どんな意味の卦ですか?

易経・六十四卦の第36卦です。夷は「傷る」で、明夷とは明るいものが傷つけられること。太陽(離)が地(坤)の下に沈み、地上が暗くなった象で、前の火地晋のちょうど正反対です。卦辞は〈明夷、利艱貞〉──艱難のなかで正しい道を堅く守ることに利がある、と説きます。

「用晦而明」とは、どういう意味ですか?

晦(くら)きを用いて明らかなり、と読みます。人に接する時、細かいことまで暴き立てるほど明察であろうとせず、知っていても知らないふりをするくらい寛大にする。明察でないことが、かえって大いに明らかであるゆえんになる、という教えです。

「箕子之明夷」とは、どんな爻ですか?

箕子(きし)の明夷、と読みます。暗黒の時代に、明るい徳をあえて覆い隠して身を全うしながら、心の中では正しい志を失わなかった生き方です。象伝は「箕子の貞は、明息む可からざるなり」──その明るさは、決して消えることがない、と結びます。

地火明夷は、どんな悩みの時に響く卦ですか?

理不尽な環境に置かれている時、正しさが通らない場所にいる時、能力を発揮できず埋もれていると感じる時、去るべきか留まるべきか迷っている時などに響きます。