易経のことば ── 人生をよむ | 第二十九回
坎為水とは
穴の中に、また穴
やっと一つ越えた、と思ったら、その先にもう一つ川がある。──人生には、そういう時期があります。困難が単発ではなく、重なって、続いて、囲んでくる。易経はその局面から目をそらしません。それどころか、一卦まるごとを使って正面から扱います。それが「坎為水(かんいすい)」、またの名を習坎(しゅうかん)です。
この卦をひとことで
坎為水(かんいすい)=習坎(しゅうかん)は、易経・六十四卦の第29卦。水(坎☵)が二つ重なり、渡り越えるべき大きな川の先に、もう一つ川がある卦です。卦辞は〈習坎、有孚、維心亨、行有尚〉。核心は──苦難が二重に重なった時にも、内に誠がある限り「心は亨(とお)る」。だから進んで行く価値があるという点にあります。
01 ── 象(かたち)重なる、という形
坎為水は、水(坎☵)を上下に重ねた卦です。習の字が、この卦のすべてを言い当てています。公田連太郎は端的にこう説きます──「習坎の習は、重なるという意味である」。だから坎為水は、別名習坎。重なった坎、という名前なのです。
坎☵の形を見ると、上と下に陰爻があり、真ん中に陽爻が一本。一本の陽が、二本の陰にはさまれて落ち込んでいる。だから坎は陥(おちい)ると読まれます。その陥る卦が、二つ重なっている。
公田はこの卦の状況を、こう描きます。「水を渉り越えることのなかなか困難なる大きい川が二つ重なっており、一つの川を渉り越えても、その先にまた一つの川がある」。そして──「険阻艱難のために幾重にも取巻かれておって、にっちもさっちも動くことのできない卦である」。
この率直さが、易経の強みです。易は「そういう時はない」とは言わない。ある、と認めたうえで、その中でどう身を処するかを説く。──それがこの卦の全体です。
02 ── 卦辞(かじ)それでも、心は亨る
習坎。有孚。維心亨。行有尚。
習坎(しゅうかん)は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とお)る。行きて尚(たっと)ばるる有り。
出典:公田連太郎『易経講話』坎為水
これほど厳しい形の卦でありながら、卦辞に「凶」の字は一つもありません。あるのは三つの言葉です。公田は、これを三つの徳として読みます。
①有孚(孚有り)=誠の徳。「至誠真実なる真心が中に充実しておる」。坎☵の真ん中の陽爻──外は陰で暗くとも、中心が詰まっている。それが孚です。
②③維心亨(維れ心亨る)=剛の徳と、中の徳。九二と九五、上下それぞれの真ん中にある陽爻が、剛強さと中庸を持っている。だから心は塞がらない。
そして行有尚(行きて尚ばるる有り)。公田はこれを、結果ではなく歩むこと自体の価値として読みます──「険阻艱難の中を進んで行くときは、険難を抜け出してうまく事が成就するかどうかは別として、とにかく進んで仁を求めて行くべきことを教える言葉である」。抜け出せるかどうかは、この時点ではわからない。それでも進んで行くべき修養の功は、完成するのです。
公田はここで、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)を引きます。正しい道を通そうとして受け入れられず、首陽山に飢え死にした兄弟。──身は救われませんでした。それでも孔子は彼らをこう評した、と公田は記します。「仁を求めて仁を得たり。又何ぞ怨みん」。求めたものは、ちゃんと得ている。だから怨みはない。──これが「心亨る」の意味するところです。
03 ── 人生に置きかえると境遇と、心を分ける
坎為水が響くのは、困難が「続いて」いる時です。一つ片づけたら次が出てくる。手を打っても、また別の穴が開く。──単発の失敗なら耐えられる人も、重なると、心のほうが先に折れる。この卦が扱うのは、まさにそこです。
そしてこの卦の処方は、驚くほど明快です。境遇と、心を切り離す。身は穴の中にある。それは事実として認める。だが心まで穴に落とす必要はない──「維れ心亨る」とは、そういう宣言です。公田の言葉を借りれば、「自分の身は険阻艱難の中におるけれども、心は正しき道を守り、天命に安んじ、泰然として自適しておる」。
もうひとつ、この卦が教えるのは「求めるサイズを変える」ことです。全面解決を焦らない。小さく求めて、小さく得る。──それが次に見る九二の教えであり、この卦で最も現実的な希望が置かれている場所です。
04 ── 六爻(ろっこう)落ちる、動かない、そして平らぐ
坎の六爻は、穴の底から、少しずつ水面へ向かう道のりとして読めます。焦って深みにはまる爻、動かないことが正解の爻、そして、ようやく水位が平らになる爻。
悩みの場面:どん底から、さらに落ちる/慌てて動いて深みにはまる
坎窞(かんたん)とは、公田いわく「坎中の小坎」──穴の中に、さらにある穴。初六は柔弱で、位も正しくなく、上に応じてくれる爻もない。援けがないまま、穴の底の穴へ落ちていく。象伝は道を失ひて凶なるなり。──ここでの凶は、環境ではなく「道を失った」ことに向けられています。苦難そのものが凶なのではない。抜け出す道と逆の方向へ動いてしまうことが凶なのです。
悩みの場面:全面解決を焦る/小さな前進しか得られない
この卦の希望の爻です。九二は上下を陰爻にはさまれ、最も険しい位置にいます(坎に険有り)。にもかかわらず剛強さと中庸の徳を持っている。だから──まだ抜け出せはしないが、求めるものが「少しは」得られる。求小得。
象伝は未だ中を出でざるなり=まだ抜け出す時機ではない。しかし「まだ」であって「決して」ではない。公田も「後には抜け出すことができるかも知れぬけれども、まだ時機に達していない」と読みます。──大きく求めれば徒労、小さく求めれば得られる。公田が引く一説はこう続けます。水の流れも初めは極めて小さく、それが間断なく流れ流れて、ついに大きな川になる。
悩みの場面:進むも退くも、ふさがっている/動くべきでない時期
進めば坎、退いても坎。前後どちらにも穴がある(來るも之くも坎坎たり)。しかも今いる場所も険しい(險且枕)。──この爻に対する易の答えは、はっきりしています。勿用=用いる勿れ。
公田はこう読みます──「動いてはならぬ。しばらくじっとしておるがよい」。そうすれば、まだ抜け出せなくとも、これ以上深い穴に落ちることにはならない。象伝は終に功无きなり。無理に動いても功はない。何もしないことが、この時期の最善手なのです。──焦りが最大の敵になる局面です。
悩みの場面:大事な相手に、本題を伝えたい/飾りより誠実さ
苦しい時期に、上の立場の人と向き合う爻です。差し出すのは一樽の酒と、ささやかな食事、素焼きの器(樽酒簋貳、用缶)。豪華な接待も、立派な儀礼もない。簡素質朴な真心だけ。
そして納約自牖──「約を納るること牖(まど)よりす」。牖は窓。公田はこう説きます。「君主の心によく明かりのはいるところの窓から、了解なさるべき点からお話申し上げる」。あれもこれもと並べ立てない。相手に光が差し込む一点に絞って、要点だけを届ける。だから終无咎=ついに咎がない。象伝は剛柔際はるなり──質素な礼だからこそ、剛と柔が本当に交わる。
──苦境で人に助けを求める時の、実に具体的な作法です。
悩みの場面:あと少しで、抜けられそう/溢れさせずに収める
この卦の主爻。剛健中正の徳を持ち、六四の助けを得て、ついに水位が下がってくる爻です。坎不盈=穴の水はもう溢れない。祗既平=ちょうど平らになった。だから无咎。
ただし象伝は、静かに釘を刺します。中未だ大ならざるなり──まだ十分に広く大きくは行きわたっていない。公田も「水が盈ち溢れぬようになり、低く平らかになり、よく流れるようになったというだけである」と抑えます。抜けたが、まだ「収まった」だけ。ここで大きく構えないことが、この爻の慎みです。
悩みの場面:長く抜け出せない/自分で自分を縛っている
縄で縛られ、茨の垣の中に置かれ、三年出られない。──坎の行き着く果てです。上六は柔弱で、険難を抜け出す才も、中庸の徳もなく、正しい道を失っている(象伝=上六道を失ふ)。
ただし公田は、この「三年」に意味を見ます。──「三年の間に、罪を悔い過ちを改める心、悔悟の心が出て来れば、獄中から出される」。三歳とは刑期の長さである以上に、心が入れ替わるために与えられた、いちばん長い猶予なのです。凶は確定した運命ではなく、「このまま道を失い続ければ」という条件つきの警告。──気づきさえすれば、垣は開きます。
05 ── 攻めと守り流れて盈たず、徳行を常にする
坎為水の「攻め」は、意外にも止まらないことです。彖伝の一句が、この卦でいちばん美しい言葉かもしれません。水流れて盈たず、險を行きて其の信を失はず。
公田はこう解きます。水は、塞がれれば溢れるが、本来は流れて行くものであり、停止することがない。そして──「水は険阻なるところを行き、迂余曲折して苦しむことがあっても、ついに海に注ぐという信実を失うことがない」。
岩にぶつかり、遠回りし、地の底をくぐっても、水は海へ着くという約束だけは破らない。これが坎の「孚(誠)」の正体です。速さでも、まっすぐさでもない。途中で何をされても、行き先を変えないこと。
「守り」は、大象が説きます。水洊(しきり)に至るは習坎なり。君子以て徳行を常にし、教事を習(かさ)ぬ。──苦難の卦でありながら、大象は水の良い面だけを見ています。水が後から後から絶え間なく来るように、良い行いは途切れさせず常に行い、人に教えることは何度も繰り返す。公田は「ここには険阻艱難の意味はないのである」とはっきり書いています。苦難のただ中でも、日々の徳行と学びだけは切らさない。それが最大の守りです。
そして彖伝は最後に、険しさそのものの使い道を示します。王公險を設けて、以て其の國を守る。險の時用大なるかな──天は高くて登れず、地には山川丘陵がある。それに倣い、人は城壁を築き、堀を掘り、規律と名分を定めて国を守る。険しさは、乗り越える対象であると同時に、身を守る資源でもある。公田はこう結びます──「険を用いるべき時はまことに重大であり、険を用いる道はまことに重大である。自分の境遇に引き当てて切実に工夫すべきである」。あなたを苦しめている難しさは、使い方次第であなたを守る壁になるのです。
余白のひとこと ── 古典より
──鴨長明『方丈記』
八百年前の日本の名句です。──河は絶えず流れ続けるが、そこにある水はもう昨日の水ではない。同じ苦しみが続いているように見えて、その中身は毎日入れ替わっている。坎の卦が説く「水流れて盈たず」と、静かに響き合う言葉です。とどまっているのは、あなたではなく、風景のほうかもしれません。
06 ── まとめこの卦からの一言
- 身は穴の中でも、心まで落とさない。「維れ心亨る」。境遇と心は別のもの。中心に誠(孚)が残っていれば、心は塞がりません。
- 大きく求めず、小さく得る。「求め小しく得」。全面解決を焦れば徒労、小さく求めれば得られる。水も初めは細い流れです。
- 動くべきでない時は、動かない。「用ふる勿れ」。前後がふさがった時期は、じっとしていることが最善手。焦りが穴を深くします。
- 行き先だけは変えない。「険を行きて其の信を失はず」。迂回しても、遅れても、海に着くという約束を守る──それが坎の誠です。
坎為水は、いま苦しい時期にいるすべての人への卦です。易経は、その苦しさを軽く見積もったりしません。穴の中にまた穴があることを認め、動くなと言い、小さく求めよと言い、それでも「行きて尚ばるる有り」と背を押します。
そして次の卦は、離為火。序卦伝いわく「陥れば必ず麗(つ)く所有り」──落ちた者は、必ずどこかに寄りつく。暗い水の卦の次に、明るい火の卦が置かれているのは、偶然ではありません。次回は「離為火(りいか)」を読みます。
FAQ ── よくある質問坎為水のギモン
坎為水とは、どんな意味の卦ですか?
易経・六十四卦の第29卦で、別名を習坎(しゅうかん)といいます。水(坎)が二つ重なり、渡り越えるべき大きな川の先に、もう一つ川がある卦です。卦辞は〈習坎、有孚、維心亨、行有尚〉。苦難が二重に重なった時にも、内に誠がある限り心は通じ、進んで行く価値があると説きます。
「維心亨」とは、どういう意味ですか?
「維(こ)れ心亨(とお)る」=心は通じる、という意味です。身は苦難の中に落ち入っていても、正しい道を守ろうとする心は塞がらない。境遇と心を切り離して考える言葉です。
大象「常徳行、習教事」とは、どんな教えですか?
君子は徳行を常にし、教事を習(かさ)ぬ、という意味です。水が後から後から絶え間なく流れ続けるように、良い行いは途切れさせず常に続け、人に教えることは何度も繰り返す。苦難の卦でありながら、水の良い面から説かれた教えです。
坎為水は、どんな悩みの時に響く卦ですか?
困難が一つ終わったと思ったらまた次が来る時、進むことも退くこともできない時、焦って動いてかえって深みにはまりそうな時、長く抜け出せない状況にいる時などに響きます。