人間は虎の尾を踏んだ状態に陥っている

People on camels traversing desert dunes against a clear blue sky. 易経思想

自分のやるべきことをしていれば大丈夫

不安になったときに思い出すこと

わたしたち人間は、所詮無力な生き物です。色々なことが世の中に起こっていますがわたしたちがそれらを止めることもできず、変えることはできません。これから起きることは第三次世界大戦です。日本もただでは済まないのです。

しかし、わたしたちはこうなるように未来を作ってしまったのです。人間というのは愚かで、自分たちさえよければいい、という生活を続け、贅沢の限りを尽くしてきてしまったのです。この状態は天沢履六三で、大凶です。本来は自分たちが道徳がある、間違っていない、というおごりを捨てていかねばならなかったのに、いたずらに世の中の道理を無秩序の自由一辺倒にしてしまい、わき目もふらずに贅沢に突き進んできたのです。それらが積み重なって今、その結果が目の前に現れているにすぎません。

しかし、反省していてももう、後戻りはできません。わたしたちは今から何をすればいいのかと言えば【未来に備えて生きる】ことだけなのです。

エヴァンゲリオンの加治リョウジのセリフに

「俺はここで水をまくことしかできない。だが君には、君にしかできない、君ならできることがあるはずだ。」

というセリフがあります。わたしはこのセリフが大好きで、本当にそうだな。と思います。

 

自分には自分しかできない仕事がある

今まで世の中は、誰かれかまわず目立つような仕事を求められ、成果が出なければ存在価値を認めないような風潮も散見されてきました。そして、わたしたちの世界で最も必要なブルーカラーという仕事は敬遠され、バカにされるような雰囲気にもなっているのです。しかし、わたしたちは自分の頭を使ってする仕事以外に肉体活動も必要です。

身近なことで言えば、料理を作ることも、掃除をすることもこれがなければわたしたちの環境は整わないのです。掃除は誰かがしてくれる、という簡単なことではなく、今までは過程でお母さんが行ってくれたこともあると思いますが、家庭での仕事はお金にはならなくとも、わたしたちの生活にかかせないものなのです。

 

わたしたちの世界は何もかも仕事をお金として換算し、そのお金の価値で生活をジャッジするようになってから世の中がおかしくなり始めました。わたしたちの世界には目に見えないたくさんの働きが存在し、その誰かの見えない働きのおかげで安心、安全が保たれてきたのです。しかし、その概念がお金に主軸がゆき始めてから、日本の安全神話も消え始め、わたしたちの生活は安心して生活することもままならない事態になり始めています。

色んな役割の人がいていい

わたしたちそれぞれは、もって生まれたものがみんな違います。ですから、易で言えば陰と陽、つまり明るくてたくましい人もいれば、暗くて内向的な人もいるのです。しかし、それがこの世界に調和を生みだし、対立している形でまったくのバランスを取っています。みんながみんな、社会に出て活躍する必要もなく、それぞれがそれぞれの役目を果たしていることをたたえ合い、褒め合いさえすれば調和ができるのです。

今の日本は特に、自分の失敗を認めない社会になっています。それは大人が子供を認めないからではなく【大人自身が自分のことを認めていない】に他なりません。わたしたちの社会に失敗しても『あなたなら、絶対に大丈夫だよ』と言ってくれる人さえいれば、それだけでこの世界は全く違う世界になることを知らないのです。

こういう悲しい世界になったことをわたしは易を通じて垣間見、そして自分のこととも照らし合わせた時に全くの無力で何の力もなく、そしてそういう人がいても助けられないことに対して絶望することの方が多い世の中です。

しかし、わたしができることはこうやって知っていることを発信していくしかないのです。

人生に絶望するにはまだ早い

同じように、わたしたちの人生がうまくいかずに落ち込んだり、人と比べて何か物足りないのではないか、と思うこともしばしば生きていたら出てくるものです。空虚さを感じて自分のしていることが無意味に思えたり、何も届いていないような気がして自分がしていることに価値がないのかもしれない、褒められないから自分がいてもいなくても一緒なんじゃないか、と思えてしまう、などなど、色々な状況があって、今、生きている環境に希望を見いだせなかったところにこのような悲しいことがはじまろうとしている人もいると思います。

けれども、わたしたちの世界は見ている世界だけがすべての世界ではないのです。

自分のやるべきことをして、やるべきことをし続けるということは加治リョウジが最強の使徒・ゼルエルが攻めてきて「そんなことをしてる場合じゃない」と言われた時に言われたセリフ「俺はここで水をまくことしかできない。だが君には、君にしかできない、君ならできることがあるはずだ。」なのです。誰かがやらねばいけない仕事がそこにはあります。

自分がすべきもの、自分が手をかけたものに最後まで「そんなことしている場合じゃない」と言われてもできることがあることは、生きているという意味ではとても素晴らしいことなのだと思います。

そういう意味で、わたしたちが未来を知り、道理を知るということはこの世界に順応して『みんなに認めてもらう』生き方ではなく、『自分が選んだ世界で大事にしたいものを守る』という覚悟を作ることに他なりません。

そういう世界を持てる人間は、この残酷に見える世界でも心の中はとても豊かで幸せに満ちているのだと思います。

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