水雷屯とは|始めたのに進まない「産みの苦しみ」

易経のことば ── 人生をよむ | 第三回

水雷屯とは
始めたのに進まない「産みの苦しみ」

意を決して、新しい一歩を踏み出した。やる気もある。なのに──思うように進まない。壁ばかりにぶつかる。始めたばかりのこの行き詰まりに、心が折れそうになることがあります。天(乾)と地(坤)が交わり、いよいよ命が生まれ出ようとする、その最初の卦。それが「水雷屯(すいらいちゅん)」です。

この卦をひとことで

水雷屯(すいらいちゅん)は、易経・六十四卦の第3卦。動く雷(震☳)の上に、険しい水(坎☵)が重なる形。進もうとしても進めない「始まりの行き悩み=産みの苦しみ」を象徴します。卦辞は〈元亨利貞、利建侯〉=正しく貫けば大いに通じる、人の力を借りよ。核心は──この行き悩みは失敗ではなく、大きく伸びるために必ず通る「生き生きした難」だという点にあります。

01 ── 象(かたち)雷が、雲の下で鳴る

水雷屯は、下に雷(震☳)、上に水(坎☵)を置いた卦です。下の雷は「動いて進もうとする力」、上の水は「陥れる険難」。公田連太郎は、進もうとする震が、上の坎の険難に阻まれて進めない形だと説きます。屯(ちゅん)とは、草木が芽生えて、内には伸びる気力を備えているのに、まだ十分に伸びられず行き悩む姿をあらわした字です。

もうひとつの見方があります。上の水は「雲」、下の雷はまだ地上を潤せずにいる。雷が雲の下で鳴っているのに、まだ雨にならない。エネルギーは満ちている。けれど、それが形になって降りてこない。──何かを始めた人なら、きっと覚えのある感覚です。力はある。でも、まだ出口が見えない。それが屯の「時」なのです。

02 ── 卦辞(かじ)屯難は、じつは「ありがたい」

屯、元亨利貞。勿用有攸往。利建侯。

屯は、元亨利貞(げんこうりてい)。往く攸(ところ)有るに用(もち)ふる勿(なか)れ。侯(こう)を建(た)つるに利(よろ)し。

出典:公田連太郎『易経講話』水雷屯

行き悩みの卦なのに、卦辞は乾と同じ元亨利貞から始まります。ここが屯の心臓です。公田は、はっきりと言い切ります──「屯難は決して悲観すべきものではない」「骨を折らずにできた大事業はない」。新しい物事には、必ず行き悩みがつきもの。屯難がなければ、創業も改革もない。だからこの停滞は、伸びる前の必然として、じつはありがたいのだ、と。

続く二句が、屯の時の身の処し方です。勿用有攸往=いま無理に進んで事を起こすな。障害の多い時だから、じっと正しい道を守れ。そして利建侯=諸侯を建てて助けを得よ。公田は「自分ひとりで全てを処理することはできない。才能ある人を用いて助けとせよ」と読みます。焦って突っ込まず、腰を据え、人の力を借りる。それが始まりの停滞を抜ける道です。

03 ── 人生に置きかえると「始めたのに、進まない」時

水雷屯が響くのは、何かを始めた直後の、いちばん苦しい時期です。起業して数か月、思うように回らない。転職したが、まだ何も掴めない。新しい生活が、想像より遥かに手間取る。──やる気はある。力もある。なのに、壁ばかり。この「始まりの行き詰まり」に、人は一番心を折られます。

屯の卦は、その苦しみに名前を与え、意味を返してくれます。あなたがぶつかっているのは、あなたの無能ではなく、すべての「始まり」に組み込まれた産みの苦しみだ、と。公田は、屯を「人の一生でいえば幼少の時、若く元気旺盛な時の卦」と言います。老いて力が尽きた行き悩みとは違う。これは、伸びようとしているからこそ生じる、生き生きした難なのです。

では、その時どう動くか。進むべきか、とどまるべきか。次の六爻は、屯難のなかで揺れる六つの立場を描きます。焦って突っ込む者、待って正解を掴む者、涙する者──あなたはいま、どこにいるでしょう。

04 ── 六爻(ろっこう)動くべきか、とどまるべきか

屯の六爻は、行き悩みのなかでの「進退の見きわめ」を、六つの立場から描きます。鍵をにぎるのは、一番下にどっしり構えた初九です。

初九|磐桓磐桓、利居貞、利建侯(ばんかん、ていにおるによろし、こうをたつるによろし)

悩みの場面:動きたくて焦るが、まだ動けない/始めたばかりで、どっしり構えるべき時

屯の主爻。磐桓とは、大きな岩や柱のようにどっしりと構えて動かないこと。公田は、初九を「天下の行き悩みを平定する偉大な人物」とし、軽挙妄動せず正しい道にとどまるからこそ、それができると読みます。始まりの時ほど、焦って動くより腰を据える。そして「侯を建つるに利し」=人の助けを得る。動かないことが、じつは最強の一手になる時があります。

六二|屯如邅如屯如邅如、乘馬班如、女子貞不字、十年乃字(ちゅんじょ てんじょ、うまにのりて はんじょ、じょし ていにして じせず、じゅうねんにして すなわち じす)

悩みの場面:進もうとして、引き返す/今すぐ結果がほしいが、時が満ちていない

馬に乗って進もうとするが、進めず引き返す。女子は正しさを守り、すぐには結ばれず、「十年にしてようやく結ばれる」。公田は、この十年を「必ずしも十年ではなく、時運が変化する時」と読みます。急いで手近な相手(初九)に流されず、本当に応じるべき相手(九五)を、時が満ちるまで待つ。焦って妥協しないことが、後の正解になる時です。

六三|即鹿无虞即鹿无虞、惟入于林中、君子幾、不如舍(しかにつきて ぐなし、ただ りんちゅうにいる、くんし きざし、すつるにしかず)

悩みの場面:案内役もなく、獲物を追って突っ込む/勢いだけで深追いして迷いそう

案内人(虞)もなしに鹿を追い、ただ森の奥へ迷い込む。公田は「獲物の利益を貪ってむやみに進めば、獲物も捕れず、森から出られなくなる」と読みます。だから君子は、きざしを見て早く見切り、追うのをやめるのがよい。屯の時にいちばん危ういのは、案内も準備もなく勢いだけで深追いすること。引く勇気が、身を守ります。

六四|求婚媾乘馬班如、求婚媾、往吉、无不利(うまにのりて はんじょ、こんこうをもとめてゆく、きちにして よろしからざるなし)

悩みの場面:自分の力だけでは足りないと気づく/誰かと組むべきか迷う

いったんは引き返すが、六四は「自分ひとりの力では及ばない」と見きわめ、下の初九という豪傑に手を結ぶ。公田は、六四が初九と九五をつなぎ、共に屯難を救う姿を「明かなるなり(賢い)」と読みます。自分の限界を認め、力ある人と組む。それは弱さではなく、始まりの時の聡明さです。

九五|屯其膏屯其膏、小貞吉、大貞凶(そのこうを ちゅんす、しょうは ていにしてきち、だいは ていにしてきょう)

悩みの場面:力はあるのに、恵みが人に届かない/良いものを持つのに影響が広がらない

膏(恵み・うるおい)が行き悩み、天下に行きわたらない。公田は、九五は正しい位にあるが、険難(坎)の中に陥っているため、恩沢が届かないと読みます。だから「小さな事は正しく守れば吉、大きな事は無理に押せば凶」。時がよくない時は、大きく広げようとせず、足元の小さな正しさを固める。恵みが届く時を待つのです。

上六|泣血漣如乘馬班如、泣血漣如(うまにのりて はんじょ、きゅうけつ れんじょ)

悩みの場面:力も味方もなく、ただ涙する/孤立して行き詰まりの底にいる

馬に乗っても進めず引き返し、血の涙を流して泣くばかり。屯の行き悩みの、いちばん苦しい底です。公田は「才能弱く、応援もなく、ただ泣くだけでは切り抜けられない」と厳しく読みます。けれど──ここにも道はあります。上六の孤立は、「ひとりで泣く前に、初九のように腰を据え、六四のように人と組め」という、卦全体の教えへの裏返しの促し。涙の底は、始まりのやり直しの合図でもあるのです。

05 ── 攻めと守りどっしり構えて、人を頼る

水雷屯は、「攻め」と「守り」がせめぎ合う卦です。下の雷(震)は前へ進もうとする攻めの力。上の水(坎)は、それを阻む険難。動きたいのに動けない──この緊張そのものが屯です。

だからこの卦の知恵は、攻めと守りの配分にあります。守りは、初九の磐桓(どっしり構えて軽挙妄動しない)と、六四の「人と組む」。攻めは、卦辞の利建侯=じっとしているのではなく、人を建て、味方を得て、険の中でこそ動く。公田は屯を「険の中に動く」卦だと言います。止まりきるのでも、突っ込むのでもない。腰を据えながら、人の力で少しずつ進む。それが産みの苦しみの越え方です。

そしてこの行き悩みの先に、光があります。屯の次にくるのは、まだ何も知らない幼い芽を教え育てる卦──「山水蒙(さんすいもう)」。生まれ出た命は、次に「学び」の段階へ入っていくのです。

余白のひとこと ── 古典より

雪のうちに 春は来にけり
鶯の こほれる涙 今やとくらむ

──二条后(藤原高子)『古今和歌集』春歌上

まだ雪の中なのに、春はもう来ている。鶯の凍った涙も、今まさに溶けようとしている──。表はまだ冬でも、内側では春が動きだしている。この歌のまなざしは、屯の卦そのものです。行き悩んで見える表の下で、生命はもう、伸びる準備を始めている。

06 ── まとめこの卦からの一言

  1. 始まりの停滞は、失敗ではない。屯難は、大きく伸びるために必ず通る「生き生きした難」。あなたの無能ではなく、始まりの必然です。
  2. 焦って動くより、どっしり構える。初九の磐桓。勢いだけの深追い(即鹿无虞)は迷いのもと。腰を据え、正しい道を守る。
  3. ひとりで抱えず、人を頼る。「利建侯」。自分の限界を認め、力ある人と組むことが、始まりの時の聡明さです。

水雷屯は、何かを始めて苦しんでいるすべての人への、静かな励ましです。その行き悩みは、あなたが伸びようとしている証拠。雪の下で、春はもう動いています。次回は、生まれ出た幼い芽を、どう教え育てるかを説く卦──「山水蒙(さんすいもう)」を読みます。

FAQ ── よくある質問水雷屯のギモン

水雷屯とは、どんな意味の卦ですか?

易経・六十四卦の第3卦で、動く雷(震)の上に険しい水(坎)が重なり、進もうとしても進めない「始まりの行き悩み(産みの苦しみ)」を象徴します。卦辞は〈元亨利貞、利建侯〉。この停滞は失敗ではなく、大きく伸びるために必ず通る生き生きした難だ、と説きます。

卦辞の「利建侯」とは、どういう意味ですか?

諸侯を建てて助けを得るのがよい、という意味です。何もかも自分ひとりで抱えず、信頼できる人の力を借りて共に困難を切り開け、という始まりの時の知恵を表します。

屯難(ちゅんなん)は、なぜ「ありがたい」と説かれるのですか?

公田連太郎は、骨を折らずにできた大事業はなく、新しい物事には必ず行き悩みが伴うと説きます。屯難がなければ創業も改革もない。だから始まりの停滞は、伸びる前の必然として「ありがたい」のです。

水雷屯は、どんな悩みの時に響く卦ですか?

起業・転職・新生活を始めたのに思うように進まない時、やる気はあるのに壁にぶつかる時、焦って空回りしそうな時など、「始めたのに進まない」産みの苦しみの局面に響きます。