連載:数字と易経で読む経営現場——2026年、中小企業の判断軸
第5回 / 2026-06-04
この連載について
帝国データバンク、日銀短観、内閣府統計——現代のデータが示す「経営の現実」と、易経が3000年前から指し示す「構造の本質」を掛け合わせ、波乱の時代に中小企業経営者が保つべき判断軸を探ります。
この連載の軸:外の混乱を制御することはできない。しかし自社の内側を整えることは、今日から始められる。
人を守ることの、孤独な重さ
会社を続けるということは、人を抱えるということだ。
給与を払い続けること。仕事を与え続けること。「ここにいれば大丈夫だ」と思わせ続けること——その重さを、経営者は毎月一人で引き受けている。景気の風向きが変わっても、円安が続いても、コストが上がっても、その責任は変わらない。
2026年の経営環境は、その重さをさらに増している。物価が上がり、採用は難しく、賃金への期待は高まる。それでも「うちの社員は大丈夫だ」という確信を手放せない経営者は多い。それは楽観ではなく、毎日積み重ねてきた関係性への信頼だ。
しかしその確信は今、統計が静かに崩し始めている。
「うちの社員は辞めない」は、もう通用しない
帝国データバンクと東京商工リサーチがそれぞれ独立して集計した。2025年度の人手不足倒産件数は、441件と442件——ほぼ一致した。
前年の350件から1.3倍。過去最多の更新が3年連続で続いている。
この数字の中に、もう一つの異常値がある。「従業員退職型倒産」が118件。初めて100件を超えた。4年連続の増加だ。
「人が辞める」から会社が潰れる。売上が落ちたわけでも、融資が切れたわけでもない。人が出ていったことで、事業の継続が物理的に不可能になった。建設業や運送業では、有資格者が1人辞めただけで「法的に工事を受注できない」状態に即座に陥る。
あなたの会社に、そのような”一人”はいないか。
SNSが「早く逃げろ」を標準化している
SNSには「泥舟(中小企業)からは早く逃げろ」というアドバイスが溢れており、それが共感を集めている。個人の感情ではなく、「データに基づいた合理的なキャリア判断」として語られる。
マイナビ転職動向調査(2026年版、回答者2万人)が示すのは、正社員転職率7.6%という2018年以降の最高値だ。20代だけではない。40代が+0.7ポイント、50代が+0.3ポイントと、かつて「辞めない」とされた中高年層が動き始めている。
「うちのベテランは安心だ」という感覚は、すでに過去のものになっている。
ドミノ倒しのメカニズム
従業員退職型倒産が怖いのは、予兆が見えにくいことだ。黒字であっても、採用が順調であっても起きる。
① キーマンの退職——そのポジションの仕事が他の社員に分散する
② 残った社員の負荷増加——実質賃金がマイナスの中で、仕事だけが増える
③ 次の退職——「自分も同じ目に遭う前に」という判断が広がる
④ 連鎖離職——採用が追いつかず、残った者がさらに疲弊する
⑤ 事業停止——有資格者・担当者が消え、受注・業務が成立しなくなる
このドミノは、一度倒れ始めると止められない。最初の1枚を防ぐことが全てだ。
副業実施率は今や11.0%(パーソル総合研究所、2025年8月)。前回調査の7.0%から4ポイント増加した。特に20代男性は20.2%と急増している。副業で別の収入源を確保してから、本業を辞める——という退職の「準備運動」が静かに進行している。
なぜ「給与を上げれば解決する」と思い込むのか
経営者が最初に思いつく対策は、たいてい「賃上げ」だ。だが、中小企業の求人倍率はすでに8.98倍(2026年予測値)。大企業の約1.0倍と比べると、問題の根は賃金だけではないことがわかる。
8倍以上の求人が存在しても、求職者は来ない。これは「賃金が足りない」のではなく、「選ばれない理由が別にある」ということだ。
賃金以上の何かを提示できなければ、中小企業に明日はない。
易学の視点:上下が通じない時代と、通じる組織の条件
易経には「天地否(第12卦)」という卦がある。天(陽)は上へのぼり、地(陰)は下へ沈む。両者が交わることなく、背を向け合っている——経営者と従業員の間に、言葉が通じなくなっている状態だ。
「否之匪人。不利君子貞。大往小来。」
(易経 第12卦 天地否 卦辞)
しかしこの卦は「終わり」ではない。易学には「物極まれば必ず反す」という原則がある。断絶の極には、交感への転換の芽が内包されている。その芽は、経営者自身の中にしか生まれない。
対になる卦は「地天泰(第11卦)」——上が受け入れ、下が動く。その交感の中に、組織が通じ合う状態が生まれる。
「通じる組織」を作るための三つの設計
設計①:「生活防衛」より具体的な実利を提示する
給与以外で、従業員の「手取り生活」を改善できるものを探す。交通費・住宅補助・食事補助・育児支援・有給の取りやすさ——賃金の数字以外に刺さるものがある。「今の生活を守れる会社」と判断されることが、離職の歯止めになる。
設計②:「連鎖離職」の起点となるキーマンを特定し、個別に向き合う
全員を同じように扱うことが公平に見えて、実は最も危険だ。退職のドミノの最初の1枚になりうる人物を把握し、その人だけに向き合う時間を作る。「自分は見えている」という感覚が、退職の決断を遅らせる。
設計③:「仕組み」で属人化を解体する
有資格者や担当者に業務が集中する構造を変える。マニュアル化・複数担当制・業務の可視化——これは「人を信じない」のではなく、「一人に頼りすぎない」組織への転換だ。
SNSが「逃げろ」と言うとき、それでも「ここにいたい」と思わせる場所を——それが今、経営の本質的な競争優位になっている。
※本稿は帝国データバンク人手不足倒産調査2025年度・マイナビ転職動向調査2026年版・パーソル総合研究所副業調査第4回・NIRA総合研究開発機構意識調査2025年のデータに基づきます。
連載「数字と易経で読む経営現場——2026年、中小企業の判断軸」 / 易stratgy.lab / 2026年6月4日
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